ビアンという言葉に、しっくりこないと感じたことはありませんか?
■ ビアンという言葉が、少し重く感じるとき
「ビアン」という言葉を聞いたとき、胸の奥で小さく引っかかるような感覚を覚えたことはありませんか。女性を好きになる気持ちは確かにある。
けれど、その気持ちをそのまま一つの言葉に当てはめてしまうことになぜか違和感を覚える。
そんな感覚を持つ人は決して少なくありません。
その違和感は気持ちが曖昧だから生まれるものではありません。
多くの場合、言葉そのものではなくその言葉に付随するイメージや周囲から向けられる視線、説明を求められる空気が重なって生まれるものです。
自分の気持ちよりも先に「どう思われるだろう」「ちゃんと説明できるだろうか」と考えてしまう。
そうしているうちに本来一番大切にしたかったはずの感情が、いつの間にか後回しになってしまうこともあります。
■ 「名乗る」「名乗らない」で迷うことについて
ビアンという言葉を使うかどうかは人によって本当にさまざまです。はっきりと名乗ることで自分自身を理解しやすくなったり、安心できたりする人もいます。
一方で、あえて名乗らないことで気持ちを自由に保てる人もいます。
どちらが正しいという話ではありません。
大切なのはその言葉を使ったときに「自分の心が少し楽になる」のか、それとも「少し苦しくなる」のかという点です。
「今はまだ使いたくない」
「言葉にすると、何かが固まってしまいそうで怖い」
「自分の気持ちは、まだ途中にある気がする」
そう感じる時期があってもそれは不自然なことではありません。
気持ちは最初から完成された形で存在するものではなく、時間や経験とともに変わっていくものだからです。
■ 気持ちは、最初からはっきりしなくていい
女性を好きになる気持ちは最初から恋愛として自覚されるとは限りません。一緒にいると落ち着く。
話していると時間を忘れる。
ほかの人とは少し違う距離感を感じる。
そんな小さな感覚の積み重ねから始まることも多くあります。
その段階で「これは恋愛なのか」「自分はビアンなのか」と答えを出そうとすると、かえって苦しくなってしまうことがあります。
感情は整理するために存在するものではなく、感じるために存在するものだからです。
曖昧なままでいてもいい。
言葉にできなくてもいい。
今の気持ちがどんな形をしているのか、急いで決めなくても問題ありません。
■ 友達と恋人の境目が曖昧になる理由
ビアンの間では友達と恋人の境目が分からなくなることがあります。それは珍しいことではなく、人との関係を丁寧に扱おうとするからこそ生まれやすい感覚でもあります。
相手との関係を壊したくないという思い。
自分の感情に確信が持てない不安。
そうした気持ちが重なり合い、はっきりと線を引かない関係が続くこともあります。
それは優柔不断だからでも、覚悟が足りないからでもありません。
むしろ相手を大切に思っているからこそ、簡単に名前を付けられないという場合もあります。
■ 周囲と比べてしまう苦しさについて
まわりの人がはっきりと名乗っていたり、恋人との関係を築いているのを見ると、自分だけが取り残されているように感じてしまうこともあるかもしれません。「自分はまだ何者でもないのではないか」「このままでいいのだろうか」と、不安になることもあるでしょう。
けれど、気持ちの進み方は人それぞれです。
誰かのペースに合わせる必要はありませんし、同じ答えにたどり着く必要もありません。
比べることで生まれる不安よりも、今の自分が何を心地よいと感じているかを大切にしていいのです。
■ 気持ちが揺れること自体を不安に思わなくていい
昨日はそう思っていたのに今日は違う気がする。あるときは恋愛だと感じていたのに別の日にはそうでもないように思える。
そんなふうに気持ちが揺れることに不安を覚える人もいます。
けれど、感情が揺れることは嘘でも未熟でもありません。
人の気持ちは本来固定されたものではなく、状況や関係性によって形を変えるものです。
揺れながら考えること、迷いながら感じることもすべてその人の本音です。
■ 言葉よりも、今の自分の感覚を大切にする
ビアンという言葉は必要なときに使えばいいものです。今は使わなくてもいいし、後から使いたくなることもあります。
逆に、以前はしっくりきていた言葉が今は合わなくなることもあるでしょう。
大切なのは今の自分がどんな関係を心地よいと感じているか。
誰を好きかよりもどんな距離感でいたいか。
その感覚は他の誰かが決めるものではありません。
答えは急がなくていい。
変わってもいい。
迷ってもいい。
そう思えることが、自分の気持ちを大切にするための一歩になるのではないでしょうか。